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「定番」てなんだろう、と思わされるお話を昨晩、銀座のバーが集ったカクテルフェスでうかがってきました。

「雪国」という誕生してから間も無く60年が経つ有名なカクテルがあります。

昨日は、その「雪国」の生みの親である井山計一さんを追ったドキュメンタリー映画の監督とよくお邪魔するバーのマスターお二人のトークイベントが、フェスのプログラムの中にあり、参加してきたのです。

興味深かったのは、 1950年代に今の「定番」「スタンダード」と呼ばれるカクテルが数々誕生したという話。

冒頭の「雪国」もそのひとつ。その後、今の時代「定番」は生まれにくいのではないか、というお話へ。

興味深いお話を聞きながら、私は、落語を思い浮かべていました。

いまだに語り継がれる古典落語も、出来た頃は紛れもなく新作落語。

もちろん今の時代もどんどん新作落語はできているわけですが、さてどの落語が何十年後も語り継がれているだろうか、と。語り継がれた時にそれは果たして定番と呼ぶのだろうか。

たしか喬太郎師匠だったと思うのですが、「今の話題を入れちゃうと古くなっちゃうんです」といった類の話をされていたような記憶があります。

たとえばその当時に流行っていたギャグなどいれても、下手したら次の年には古く感じるという意味です。

熊さんも八っつあんも今の時代には確かにいませんが、そそっかしい人や、ダメな人はいまでもいる。横柄な侍はいないかもしれないけれど、横柄な上司ならいる。

落語は人間の業を描いているといったのは談志師匠でしたか、そういう真っ裸でど真ん中な心(しん)の部分にどれだけ迫れるか……迫ったものが、古びずに語り継がれていくんじゃないか、と。

とはいえ、古典もさすがに時代にあわずに説明が必要なくだりもありますが、それを聞く側にあわせて甘みなどつけて聞きやすくアレンジされる方もいる一方、一切それがなかったのは志ん朝師匠だそうで。

「雪国」というそのカクテルもレシピをうかがうと至ってシンプル。しかし、よく考えられているカクテルとのこと。

カクテルや落語に限らず、多くの人に伝わり愛されつつ、シンプルでよく練られたものにひとつでも多く出会いたいな、と思います。

また、自身も発信者の端くれとして(思いつきでそんないずれ定番になるようなものを生み出せるような非凡な才能はないので)、日々修練、吟味しつづける落ち着き、粘り強さを身に付けようと思います。

そんなことをあれこれ想い巡らせつつお話を聞いていたのですが、登壇者の一人のバーのマスターが「まったく同じレシピでも作る人によって味が違ってくる。それが技術」とおっしゃっていてしびれました。

真似事から始まっても本物になるには遠い道のりですね。