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 空っぽな自分を認めると足元から崩れそうで、見ないふりをするために、全力で恋もして、仕事もして、そして、全力すぎていろんな物を壊しても尚、自分は空っぽだ、という事実に絶望しかけたころは、齢は35歳目前だった。

 7つ下の彼氏が、起き抜けに「飯つくってやるよ」とテキパキとオムライスをつくりだす。

 咽かえる油の臭いにゲンナリしながら下着を布団の中で探した日、たぶんあれが今のところ、私の人生の底辺だと思う。

 気付いていた。思ってもいないのに「うん。そうだね」って、言いすぎることに。

「(本当はどうでもいいんだけど)」

 言葉にならなかった気持ちを煙草にのせて吐き出していた事は知らずに、7つ下のその彼は「煙草ださいからやめなよー、俺はやめたぜー」と無邪気に言い放って、ケチャップをたっぷりかけたオムライスを私の前に差し出した。

 食べ物を残すことを許さない人で、時間に遅れるとあからさまに厭な顔をする人で、とても品行方正で、そして天真爛漫で、近くに寄ると、おのずと私の心の影がきつくなっていく、そんな人だった。

 当時、私は仕事に忙殺された記憶しかない。5分に1通くらいの割合で、無慈悲なクライアントには「承知しました」と「申し訳ありません」を交互に、話しにならない上司の罵声には「すみませんでした」一辺倒、まるで判を押したようにメールを返し続けて、その途中に紛れていた彼の

「やっぱりこの関係続けられない」というメールに「承知しました」と返して関係は終わった。

 なんとなくだけど。

 みんな空っぽなんじゃないかな、と、気付いたのはその彼と別れた後だと思う。じゃあ、いいじゃないか、空っぽなりに、何とか生きてきた理由はあるんだと信じるしかないんだよ、まるでカタツムリが通った後のように、何となく軌跡はあるんだ、そう思い込むしかないんだよ、もういいよ、いいことにしようよ、と自分を許せるようになった気がする。

 何を書こうとしたんだっけ、あ、そうだ、燃え殻さんの「ボクたちはみんな大人になれなかった」を読んだ。空っぽなことに正直すぎる人が小説を書くと、こうなるんだろう、と思った。

 私はといえば、その後、どこかで、それも諦め顔で、自分に嘘をついてきた。空っぽで悪かったな、と悪態をついてはノラリクラリと生きてきた。

「キミの身体にもたくさんの成仏していない言葉がつまっているんだよ、きっと」

 ストーリーの中では、かつて愛した人に言われた設定でこの台詞が出てくる。不意にこんなことを言われたら号泣したであろう、嘘をつく前の私に、そっと送ってあげたかった。

 そして、こういう台詞を、自分の言葉で誰かに言えるようになったとき、大人になるのかもしれない。

 自分についた嘘にも慣れるだけの時間が過ぎたせいか、読んで泣くことはなかった。だけど、大人は、涙を流さずにも泣けるものだ、と、そんなことにも気づかされた話しだったかもしれない。