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上野千鶴子さんの東大入学式での祝辞が話題になっていると聞いて読んでみた。

そもそも「不公平」の定義が、根本的にこの人とスタンス違いすぎるので、何を言いたいのか、(スピーチと書き起こしの違いもあって)すんなり入ってこなかった。

もちろん彼女が生きてきた時代は、私の世代ではわからないご苦労があったとも思う。

ただ、これからの世の中を背負っていく若者に対しての祝辞にしては、だいぶ古い気がした。

ところで、一度だけ仕事で、言葉をかわしたというほどではないが、声をかけて頂いたことがある。

第一声が「この会社で女性として働くって大変でしょう」だった。

一瞬何を言ってるんだか理解できなかったが、男は仕事、女は家事、みたいなマッチョ脳な上司が結構いるのでは? という問いかけで何を意味しているのかやっとわかり

「『女性 』 としては働いてません、『個人名 』 としては働いてますが」と思わずいいそうになるのをグッと堪えて愛想笑いを返した覚えがある。

そういう相手には、男としてというより、人として理解しあえないな、と思うだけで、それ以上でもそれ以下でもない。

まだまだ世の中にはそういうマッチョ脳な上司が跋扈しているのかもしれないが、そんな輩に自分の人生振り回されたくない、と心底思う。

……という、私の感覚がよほど鈍感なのだろうか……。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。

一瞬、聞き心地いいのだが、祝辞の冒頭は「女性が不利である」という話から入ったのに、最後この締めだと何を伝えたかったのか、(もしかしたら聞いていればわかったのかもしれないが)書き起こした文章だけではよくわからなかった。

世界規模で考えたら、女性が、宗教のもとにだったり、歴史の中でだったり、不公平という言葉ではくくれないほど虐げられている女性はたくさんいらっしゃるから、解放していく手立て、支えは必要だと思う。

きっと、東大に入ってくるような頑張り屋の女性にはそういう活躍をしてください、という気持ちを込めてのことだったと理解したいが、……最終的には恵まれてるか恵まれてないか、という視点まで入り込んできて、結局、差別感しか残らなかったし、 時代がかわったいま、フェミニズム論の定義の危うさを感じる話だったような気がした。

ちょっと乱暴な言い方かもしれないが、いつしか「女性学」自体がなくなる日が来ることを目指してほしい、くらい言って欲しかった。

https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/b_message31_03.html?fbclid=IwAR1VbTczsawrdROaQzt6MZkdA3J3REbNQ5ofko6mzmQ6cFWwQkWrTninkgA